さぁ「偉大な普通」を取り戻そう。僕らは「普通」をとうに忘れている

後進指導をしている理由について

【初めに】当HPの内容は全て院長個人の見解である事をご了承下さい。

私は3人目の師匠が取り組む「カイロプラクティック志塾」にて月2回講師をしています。それは「恩返しと自らの学び」の為です。

師の神輿を担ぐ

私が自身でセミナーを開催せず、志塾で後進に教えているのは3人目の師匠である橋爪先生の神輿を担ぐ為です。そこに理由はありません。私が担ぎたいと思ったから担いでいる形です。

教うるは学ぶの半ば

そしてもう1つの理由は「自分自身の勉強になる」からです。「教うるは学ぶの半ば」とは言ったもので、誰かに何かを教える時、それも志塾としてキチンとお金を頂いた上で、講師という立場で教える訳です。当然キチンと「価値」を乗せた講義を提供しなくてはいけません。そうなると必要になるのは「予習」です。

「自分はわかっているから」ではなく「これから学ぶ人」に向けてキチンと噛み砕いた情報に落とし込まなくてはいけません。教科書そのままの情報を提供していては「皆で自習」と何ら変わらないからです。

教科書を使いながらも「情報をかみ砕き」「講師ならでは情報や価値観を乗せて」解説を進めていく。その為に必要なものが「予習」です。授業の前には授業の場所を1~2周してかみ砕いていきます。

それを「手間」と呼んでいる間は「教えるための準備」に過ぎません。自分の職責を果たす為の義務に過ぎないからです。

ですが、何度か繰り返しているうちに「人に何かを伝える為の事前準備」が「自分が学びなおす機会」になっている事に気付きます。

教科書を読む度に頭に入り込んでくる箇所・範囲が変わっていく事にも気付けました。

1周目には流していた箇所が2周目には全く違う見え方をしたり、別ページの情報と繋がりあったりと新しい「学び」に溢れているのです。

こんな大切なことを「講師」という立場は気付かせてくれました。実は一番勉強になっているのは「私自身」だったという事ですね。

三方良し

師の為に、後進の為に、そして自分の為に

これからもカイロ志塾が続く限り、私は繰り返し学び続けます。